自閉症の息子を成長させた絵:とにかく描こう!スクリブル時代
自閉症の息子が7才(小学校1年生)頃、彼の表出言語は日常生活の行動に伴う単語くらいしかありませんでした。
自分が気に入らないことには、喚き散らし、泣き叫び、物は投げる、噛みつく、叩くなどなど、不機嫌なときは手がつけられない状態でした。
彼が不機嫌になると扱いにくいので、私は彼の機嫌をとりながら子育てしていたんです。
ですが、それは大きな勘違いの子育てだったので、自閉症の息子の状態はひどくなるばかりでした。
そんな頃に出会ったトモニ療育センターで、自由画を描かせることを勧められ、家庭で自由画を描き始めました。
自閉症の息子に描かせた自由画は上手く描かせるためのものではない!
まず始めに、「絵を描く」というと、芸術作品としての絵を思い浮かべるかもしれないですが、自閉症の息子に描かせた絵は、上手く描くためのものではありません。
上手に描かせようとして絵の描き方を教えたとたんに彼の絵は死んでしまいます。
彼に描かせた絵は、彼の自由な思いを画用紙に吐き出す絵と思ってください。
自由画を描き始めた頃の彼は、画用紙が「ゴミ箱」だったように思います。
何枚も何枚も、なぐりがき(スクリブル)を描きました。
「7才にもなって、こんな絵しか描けないのか!」と思ったらおしまいです。
スクリブルも変化するんですよ!
7才の息子は、絵を描き始めて1年間くらいは、なぐりがき状態でしたから、上手な絵を描かすために始めた絵なら、このスクリブル時代は親にとって落胆時代で楽しめず投げ出してしまっていたかもしれないです。
スクリブル(海)1995年10月(7才4ヶ月)作
自由画は、息子が経験したことからテーマを提供していたが、7才ころの彼は難しい言葉は通じなかったので、「海を描こう。」など彼が最近見たもので分かりやすい事に絞った。
「海を描こう。」テーマを提供してやると、青の絵の具で描き始めたが、彼が描き終わるまで自由に描かせていると、最後には暗い色を塗り重ねて行く。
この頃の絵は、たいていがこんな感じで暗い。
スクリブル(きょうりゅう) 1995年12月(7才6ヶ月)作
どこに恐竜がいるのかなぁ?って感じだけど、彼は「きょうりゅう」と言って描いている。
使う色が増えてきたが、相変わらず最後には黒く塗りつぶしてしまう。
スクリブル(110匹のお化けのこども) 1995年12月(7才6ヶ月)作
「101匹ワンちゃん」の洋画を見た翌日くらいに描いた。
魔女みたいな犬泥棒が「お化け」のイメージで残っていたのかなと思う。
「お化け」と言っているけど、今日の絵は黒く塗りつぶさず明るい。