描くことが好きになる・・・嫌いなことが好きになるとき
息子が7才のときに、トモニ療育センターの河島先生の勧めで描き始めた自由画が、自閉症の彼を育ててくれたことがたくさん有ったと思います。
いつも不機嫌で、勝手気ままで、心休まるときが無いのではないかと思うような状態の息子に、気持ちの発散場所として描き始めた自由画でしたが、彼は決して絵を描くことが好きではありませんでした。
好きじゃないこと、嫌いなことは苦手なことです。避けていたらいつまでも苦手なままです。
自閉症の息子の療育には、「苦手を克服して得意なことになると嫌いなことが好きなことになる。」と、いう考え方を常に持っていましたが、自由画に関しては、「挑戦、克服」という視点は持たず、好きではないことだったけど、自由を与えていたので、描くことが好きになるのに時間はかかりませんでした。
絵が育ててくれたもの
自閉症の子は、ちょっとしたことで、癇癪をおこしたり、奇声をあげたりするので、人の中に連れ出すことがおっくうになりがちで、経験も少なくなってしまったりしますが、自由画のテーマを息子が実際に見たこと経験したことから選ぶようにしたので、必然的に外の世界に出る必要がありました。
自由画を始めたことで、彼に色んなものを見せたり経験させる機会を与えてくれました。
そして、近過去に経験したことをテーマにしていたので、過去を振り返り状況を再現する力や記憶する力を養っていけたと思います。
過去を振り返ることができるようになることで、色んなトラブルがあったときに、反省して修正することも可能になりました。
息子は聴覚より視覚が強かったのですが、自由画を描くことでイメージする力が養われたことで、視覚力は強まったと思います。
一瞬にして映像で捉えるというような能力ではありませんが、映像で記憶し判断する力が強まったことは、言葉の説明では理解しにくい彼にとって生活面でも助けになっていると思います。
楽しかったときは楽しい絵、苦しかったときは苦しい絵、悲しかったときは悲しい絵というように、言葉で表現しにくいことを絵を描きながら「そうだったのね。」と共感したりすることで、お母さんに分かってもらえたという感覚もあったと思っています。
楽しかった事を描いているときは、描きながら思い出して、クスクスゲラゲラと笑い出すこともあり彼と2人で大笑いしたこともありました。
養護学校高等部の美術部で描くようになった絵は、1年かけて根気よく1枚の作品を仕上げていましたから、とても大きな力を彼につけてくれたと思います。
寒い風が吹く中で、デッサンした電柱、暑い夏の日差しの中でデッサンしたトウモロコシなど、悪環境に左右されずにするべきことをする力や丹念に写生することで観察力が養われました。
彼の絵は、とても緻密です。細かい筆使いが必要だし、集中力が無ければ描けません。
そして、1日に描ける部分は僅かな範囲です。完成までには1年近くかかるので、根気力が無ければ描けません。
集中力と根気力を必要とした絵が完成したときの達成感は格別だったと思います。
彼が、養護学校美術部で描いた作品は、様々なコンクールで賞をいただくことになりました。邪心無く素直に表現した彼の絵は、技法的には大したことなくても観る人に感動を与え「絵とはこういうものだ。」と評価されたようです。
芸術の世界は障害というハンディがない世界、同じ土俵に立つことができる世界、そこで、認められるということは、彼に自信をつけてくれました。
今、彼が単調な仕事を黙々とできるのも、絵を描くことで養われてきた集中力や根気力、認められることの快感などが活かされているのだと思っています。